人生は楽しむためにあります
しかし、通常多くの人は変わろうとし、時には誰かになろうとして人生の多くの時間を費やします。
年齢を重ねたあなたならご存知だと思いますが、
大人になっても根本的なところはあまり変わりませんね
お父さんやお母さん、学校の先生や会社の上司、同僚、あらゆるマスメディアから私たちはメッセージを受け取っています
「あなたは変わらないければいけない」と
そして近年、一方で聞こえてくるのは
「ありのままで」というメッセージも、、、
変わろうとする時、誰かになろうとする時
「私は何のために生きているのだろう?」
「私は何をしたいのだろう?」
「私が生きていることに何の意味があるのだろう?」
「一体誰が私を愛し、必要としてくれるのだろう?」
と思い悩むのです。
それがあまりにも長年続くと多くの人は日々の仕事や育児などの忙しさ、問題の重さに埋もれこう言い出します
「人生とはこういうものだ」と
思い悩み苦しんでいる状態に疲れ、逃げるために、苦しみそのものを正当化する場合があります
これを繰り返すと顕在化されていた意識は、潜在化していきます
そして、不定愁訴のようにはっきりとした理由や原因もなく疲労感、覇気の無さ、頭痛や不整脈、動機、息切れ、肩こり、腰痛、イライラ、焦りなどが現れてきます
つまり、自分が今苦しんでいると気付かずに苦しんでいる状態に入ります
けがや病気などからの回復は、診断から治療、処方、療養などと進んでいきやがて回復していきますが、
最初は「現状把握」から始まります
診断を誤ればその後のプロセスは効果を生まないばかりか悪化させる場合もあるでしょう
自分が苦しんでいる時に苦しんでいると気付く事がフラットな事実として認知されることでやがて回復へとつながっていくのです
事態を潜在化させ問題をより困難にするよりも顕在化している時に立ち止まり気付く事が効果的だといえます
これらを平たくお伝えするとそれは
「苦しんでいるなら苦しみなさい」
「泣きたいなら涙を流し泣きなさい」
という事になります
これらの言葉は時にきつく無慈悲の様に聞こえるかも知れませんがこのような背景があるのです
そして実際にはこれらのプロセスには適切な誰かのサポートが必要だと思います
では「変わる」とはどういうことなのでしょうか?
多くの人はこのようなプロセスを何度となく迷いながら苦しみながら繰り返します
やがてある気付きに至ります
「私は変わらないのかも」
「ありのままの自分でいるのが最高に楽でしあわせなのかも」
「この私を嫌いな人がいても好きな人がいても私は構わない、だってこれが私だから これが唯一の私なのだから」
と
そして
ここが矛盾ですが
この気付きが
あなたを
「変えるのです」
ここでお伝えしたいのは
おとなになっても変わらないんだったらもっとはやく認めてあげればよかったなって思いませんか?
何度も言います
「人生は楽しむためにあります」そして
「もともとあなたは素晴らしい存在です」
このまま生き続けていくと、
「どうせいつか素晴らしい自分に出会います」
もしそうなら、早めの方が良いと思いませんか?
まだ十分に時間はあります
誰にも訪れる人生最期の足音が聞こえた時に、
これが私の人生だったのか、と立ちすくむ前に
ぜひ
生きているうちに
人生は楽しむためにあります
人生とは発見であり目撃する事なのです
あなたがあなたに出逢えますように
それは最高の友と共にいる感覚です
エンジョイフローはあなたのプロセスを直接サポートします
私が人生を楽しめない原因の一つは「罪悪感」であると気づかせて頂きました。
いつも、ありがとうございます。
かずくん コメントして下さってありがとうございます 感謝。